「Aとはどうやって知り合ったの?」
これは私がパートナーAの事を話すと必ず聞かれる質問です。
今日はAとの出逢いと始まりについてご紹介したいと思います。
Aとの出逢い
Aとは、2018年の7月末に、
私の友人であるアメリカ人の翻訳会社の社長Tのパーティーで出逢いました。
AはTの友達の友達で、偶然にもそのパーティーに足を運んでいたのでした。
その頃Aはスイスに住んでおり、フィリップモリスで働いていました。
AはIQOSを日本に持ち込み、
そのプロモーションをマネジメントする為に2-3ヶ月毎に日本に出張にきており、
そのタイミングでパーティーに参加していたのでした。
ものすごいタイミングです。
そこで出逢った私達は話が合ったので、Aが食事に行こうと誘ってくれたのでした。
はじめての食事
初めての食事は2018年の8月4日です。誕生日の次の日だったので忘れません。(笑)
Aの指定してくれたレストランはとても落ち着いたお店で雰囲気も良く、
私達はスパークリングワインで乾杯してゆっくりと食事をとりながら、
お互いの事を話し始めました。
話すたびにお互いの共通点がどんどん出てきて、
話は尽きることがありません。
- お互いに4人兄弟の3番目であること。
- 兄弟は全員結婚していて、自分たちだけ結婚していないこと。
- 母国を出て、違う国で生活をした経験があること。
家族でのポジションも似ているので根本的な考え方も似ていて、
世界に出て感じたことや母国とのギャップの話なども盛り上がりました。
それらの共通点が、私達の距離を一気に縮めてくれたのでした。
Aはニューヨーク出身で、NYCを出てサンフランシスコで7年仕事をし、
その後コンサルタントとして香港や南アフリカに住みながら仕事をし、
フィリップモリスの仕事を受けて実績を出したことにより、
引き抜かれる形でスイスに移住して約12年が経っていました。
それだけの長い海外経験を持つ人だったので、
私の最初の印象は「アメリカ人っぽくない人だな~。」でした。
私のアメリカ人の印象は”「俺が、俺が!」というタイプが多く、
意見が違うものなら自分が正しいと相手が認めるまで討論を行ない、
アメリカが世界でNo.1だと思っている人が多い”だったからです。
もちろん、全ての人ではないとは思っているのですが、
これまでに会ってきた大抵のアメリカ人たちは、
分かりやすくそういう人が多かったのです。
でもAは私の話をしっかりと聞く姿勢を持ち、
自分と答えや考え方が違う場合でもそれらを受け取り、
理解をしてくれようとしました。
それはアメリカから出て様々な国の人と出逢い、
違う文化や習慣の人たちにあったからこそ培われたと話したのです。
その国の文化や習慣、そしてその考えを尊重して理解するという姿勢は、
やはり海外生活を通して更に培われます。
時間はあっという間に過ぎ、食事も終盤に差し掛かる頃、
私はお酒で具合が悪くなり、
「お手洗いに行ってくる」と告げて席を立ちました。
今となっては、それはスパークリングワインが原因であると分かるのですが、
当時はまだそれに気づいておらず、
ただただ気分が良くなるまでトイレに座り込んでいました。
心配をかけたくなかったので、
少し落ち着いたら平然とした顔で席に戻ろうと思っていたのです。
10分程立った頃に「大丈夫?」とAがラインをくれたのにハッとし、
全く具合が良くなかったので
「ちょっと具合が悪いから、あと5分したら出ます!」と返信。
後から聞くと、実はAはこの時、
私に何も告げられずに帰られたと思ったのだそうです。(笑)
何とか歩けるぐらいまで回復した私はトイレから出てAに平謝り。
Aはすぐに許してくれ、「帰ったかと思ったよー。」と笑っていました。
帰る為に駅に向かって歩いていた私達ですが、
外に出ると更に気分が持ち直した私は、
最後に長らく待たせてしまったのを申し訳なく思っており、
気持ちの中では「もう少し話がしたいな~。」と思っていました。
すると駅に着いた時にAが、「カフェでもう少し話さない?」と聞いてくれたので、
とっても嬉しくなって二つ返事でOKし、そこから更にカフェで話し込んだのでした。
私はこのポイントが、その後の流れを変える一つの大きな分岐点であったと感じています。
2回目のデートでの告白
2回目のデートは王道の映画だったので、
まずはカフェで待ち合わせをすることに。
台風の前で雨がかなり降っていましたが、映画は決行。
その時にAが「僕も君ももう大人で、
僕たちはこれから人生のパートナーを探していこうとしている。
だから脈がないのならハッキリ言ってほしい。
僕は付き合いたいと思っている。」と言われました。
日本では付き合う前に「付き合おう」と言って始まるのは普通ですが、
外国人でこの段階でハッキリ言ってくれる人はなかなかいません。
でも私は、Aは8月の中旬にはスイスに帰ってしまうこと、
その後はもし付き合ってもスイスと日本の遠距離恋愛になること、
そして次に来る11月までにまだ時間があることをもう知っていたので、
「まだ会ってすぐだし、
11月までにあなたの気持ちが変わらなかったらその時に一緒に考えよう。」
と伝えたのでした。
するとAは、「明日会社とかけあって、日本の滞在を延ばす。」と言ったのでした。
結局彼は8月末まで日本の滞在を延ばし、
「その間にできる限り会おう。」と言ってくれたのでした。
仕事大丈夫なのかな。。と心配はしましたが、とにかく素直に嬉しかった!
Aは日本で仕事をしながら、日本語の語学学校にも通っており、
彼の話にはよく学校での経験や友達の話が出てきていました。
そして私と会ってからは私のことを友達にすぐに話し、
紹介しろと言われると嬉しそうに話しました。
また、彼からは家族の話もよく出てきました。
自分の結婚を待ち望んでいる両親にはまだ話していないけど、
姉に話したらとても喜んでくれた!と報告もしてきていたのです。
一緒に過ごす日数が増えていくにつれて、
私の中での遠距離恋愛の不安は消えていきました。
この人とならできるかもしれない。そう思い始めていました。
そこで、付き合うことをOKしたのです。
突然のスイス行き決定
順調にデートを重ねていたAと私。
東京タワーを挟んでいるからではありますが、
まだまだ初々しく、写真にはまだ距離感が見えます。(笑)
ある日の夜、Aは「僕はあと1-2週間で帰らないといけないし、
11月までは時間が空いてしまう。良かったらその間でスイスに来てくれないか?」
と聞いてくれました。
スイスの友達にも紹介したいし、働いている会社も見せたい。
何よりも会いたいと。
私は2016年2月に帰国してからというもの、
全てのお給料を繋がりづくりと自分の健康や生活への投資に使っていたので、
当時私はほぼお金を持っておらず、
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私はお金がないから行けない。」
と断りました。
するとAはその場で「そんなことは問題ではない。いつなら来れる?」
と聞いてくれました。
私は前年の9月に10日間のお休みを取ってオーストラリアに行っていたので、
その頃だったら行けるはずと話すと、
その場で飛行機の往復チケットを買ってくれたのでした。
私は信じられない思いで、でもスイスでAに会えることを心底喜び御礼を言いました。
一夜明けた私は、会社への有休願を出すと共に、
スケジュールの調整を始めたのですが、
自分の気持ちに少し不安が持ち上がってきました。
日本に帰国して2人の日本人男性とお付き合いしましたが、
1人は4か月、1人は3ヶ月で上手くいかず別れ、
それらの経験で自分の男性を見る目に自信がなくなり、
その後は今は仕事を頑張ろうと仕事に打ち込み、そこから9か月を経て出逢ったA。
良い人だし、もう信頼はしてきているけど、
Aの全てを知っている訳でもないし、
初のヨーロッパであるスイスに足を運び、Aの家に滞在して大丈夫なのか?
さすがに殺されたり、売られたりはしないだろうけど。。←真剣
先の2名で周りにすっかり心配されていた私は、
相手の男性を信用する前に先に紹介しろとかなり釘を刺されていたので、
私だけでの判断では不安だと感じ、
東京の兄さんと慕っている人に
Aを紹介する為の食事をセッティングすることにしました。
その日の夜、3人で焼き肉屋さんを訪れ、わいわいと食事をしながら過ごしました。
第三者を加えて話すことにより、
2人の時に出なかったAの一面が垣間見えますし、
更に私が質問をしない分野のバックグラウンドの話が出てきたり、
私ではない人への受け答えを知ることができます。
その日は客観的にAと向き合う事ができました。
食事の後に「どうでした?」と聞いた私に、
東京の兄様は「気になるところはあるけど、今は言わない。ま、大丈夫なんじゃない?」
と言ってくれたのでした。
兄様はとても勘の良い人なので、何かは感じ取っている。
でも、それらも含めて自己責任でなら、
スイスは楽しんで来て良いとの判断だと(勝手に)受け取り、
私はせっかく行くんならスイスをAと命一杯楽しもう♪と決めたのでした。
8月末までの滞在を終え、スイスに帰って行ったA。
いよいよスイスと日本での遠距離恋愛のはじまりです。
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