トントン拍子と足止め

アメリカ人の元夫とのこと 人生から受け取ったこと 人生のドラマ

週末をいかがお過ごしですか?
カタリスト小梅です。

私は外出を控えるようになってから、
土曜日はバランスを取る日になってきています。

平日は外に出られない中で仕事に集中して取り組んでいるので、
この日ばかりは仕事のことを考えず、自分が何を求めているのかに向き合い、
それを心置きなく自由にします。

そして日曜日は、整えた後にこれからやるべき事に時間を費やします。
自分の為の勉強であったり、仕事の企画であったり、
将来の計画に対する動きであったり。

土曜日に調整の日を入れないといけないのはまだまだではありますが、
現状安定した日々を過ごせていると感じているところ。

今週はとても嬉しいニュースが届きました!
今日はその事についてご紹介したいと思います。

一緒に住むという大きな流れ

私とパートナーのAは、1月12日に婚姻届けを提出し、晴れて夫婦となりました。
その手続きを済ませ、Aはサンフランシスコに帰り、
今まで付き合っていた時と同様に、遠距離&別居の状態となったのです。
Aが次に日本を訪れるのは、4月の予定でした。

しかし、私は2月頭に靭帯を損傷し、Aはそのタイミングで会社に交渉し、
日本に駆けつけてくれました。
そして、こう私に告げました。

『やっぱり夫婦は一緒に暮らすべきだと思う。一緒に住む方法を本気で考えよう。』

と。
私は家族として私の事を真剣に考えてくれるAを頼もしく思い、
とても嬉しい気持ちになりました。

実のところ、私は夫婦だから一緒に暮らすべきとは思っていません。
誤解のない様に言いますが、住まなくて良いと思っているのではなくて、
何事にもそのタイミングと流れがあると思っているからです。

でもこの年末年始からのできごと足の怪我
この流れとできごとはなんで起こったのか?
私はそんな事を考えながらAと話し合い、Aの日本のビザを申請する事にしました。

アメリカと日本のビザの申請手続き

私のアメリカのビザ(グリーンカード)の手続きも進めていますが、
書類を揃えるのがなかなか難しい上に、
それらを提出したとしても最短8カ月、最近は1年程以上かかるのが当たり前とのこと。
更にこの現状、そして私の肺結核が手伝えば、更にどれだけ遅くなるかは計れません。

そうであるのならば、いち早く住む為には私達の残された道はスイスか日本。
そしてAはかねてよりずっと、日本に住んで仕事をしたいと話していました。

私達はAが私の面倒を見てくれる為に来日してくれた23日の間に、
Aのビザを申請するべく準備を済ませ、2月25日に書類を提出する事ができました。
その日は私のギブスが取れた日でした。
私が足が不自由だったり、自宅で仕事をしていたので、
Aは率先していろいろと動いてくれました。

私達が申請した『在留資格認定証明書』は、出入国在留管理庁に申請をするのですが、
早くて3-4週間、遅くて3ヵ月かかると言われていました。
しかし、なんとそれが3月17日付に発行され、手元に19日に届いたのです。
21日という最短で発行されたことになります!

すぐさま私はその書類をスイスにいるAに郵送しました。
最速で届くのはEMSだと言われましたが、
通常日本→スイスだと約5-7日で届くところ、
コロナウィルスの影響で、飛行機の便数が減っていることから、
いつ到着するとは言えないとのお話でした。

それでも最速であるのならばと2,200円支払って書類を郵送!
やはりそれよりも時間はかかりましたが無事にAの元へ届きました。
そしてそれらの書類を持って、
Aがスイスの日本大使館に日本の査証(ビザ)を発行してもらう為の手続きに訪れたのは3月25日

手続きも無事に終わり、あとは待つだけだと2人で言い合っていましたが、
私は【非常事態宣言】が出た日本の現状を考えれば、
少なくとも5月6日頃までビザはおりないんじゃないんだろうかと思っていたところ、
なんと4月9日にスイスの日本大使館からビザがおりたとの連絡がAに入ったのです!

でも、ビザがおりても現在日本の入国が制限されている時。
Webサイトも2人でかなりチェックしていた為、
4月3日以降の受け入れは絶望的と知ってはいましたが、念のために電話で確認。
しかしやはり、現在は指定国外からの入国や、
日本人か永住権を持つ人しか入国を認めていないとのこと。
スイスとAの母国のアメリカからでも入国が制限をされているので、
やはり入国はできないとの返答でした。

確かに一秒でも早く一緒に住むことができたらと思っていますが、
移動することでAがコロナウィルスに罹ったり、
A自身が日本にウィルスを持ち込む事はいやなので、
今は忍耐の時であると2人で支え合っているところです。

今は地球規模で、思いやりの気持ちを持って助け合う時だから。
そして私達が今できるのは、自分を始め、身近な人達と少しでも心穏やかに過ごすこと。

一緒に住む家探しもしていましたが、
Aの入国がいつになるのかもわからないのに、
物件をキープしてオーナーさんや不動産会社さんを待たせる訳にもいかず現在は中断。
終わりの見えないものを待たなければならないつらさはやはりあります。
でも、私達だけじゃない。今はみんなで辛抱する時。

つらい、悲しい、さびしいと言っても思っても先が見えずに変わらないのなら、
私は楽しいことや、ワクワクすることや、光り輝く未来を見つけ、想像し、創造したい。

それが自然にできる人とできない人もいると思います。
でも自分がそのどちらで生きたいかを決め、
その実現の為に意識し、行動し始めると、それらを少しずつ変えられる。
それができるようになった時、自分の気持ちの持ちようと、
その結果が雲泥の違いになると気付くはずです。

小梅

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小梅 koume

人と人、人とものごとを繋ぐカタリスト。 オーストラリアを中心に6年間の海外生活を送り、現在は東京を基盤にインバウンドメディアとインバウンド専門カスタマイズツアーを提供するJapan Travel K.K.で仕事をしています。 ブログを読んでいるあなたと共に人生を楽しみながら、#日常を輝かせるTipsを共有できるメディア創りを目指します。 人生禄を綴った「note」の記事はこちらから→ https://note.mu/mt_koume

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